初めて会った人

レイヤーが同じ人なら

挨拶ぐらいはしときたい、陶芸のことで「何kg 」と問えは゛2kgと答えた。

作成中の物を見て「すごい」といった、私か作るなら3kgは粘土を使いそうだ。

 

コテを探しているようでは「まだまだ」だと思った。

 

口作りに針を使い皮で舐めしている。

 

後、出来上がり時表面をなめし皮で整えていた。

 

石井さんとおっしゃる。

 

作業上の始末をお願いして退出した。

 

菊煉出来て電動録ろで二キログラムの粘土を30cm弱の壺を挽く

 

一人でも増えることは喜ばしい。

 

あと、接着できなかった口と足をドベを使って補修した。

 

タタラで家を作っている人は失敗していた。

 

まず板を作って接合する方法を勧めた、折り曲げて作るのは管理するのが難しいと伝えた。

 

原子力発電は止めるべきだ

代替案を言わないで意見を言うのは卑怯だと私は思う。だが、言えるのは国民だ平和で安定した生活を要求するのは国民の権利で有りそのために税金を支払っているのだから。

 

国民の為を思って動くのが政治家で有り役人だ。

 

原子力発電所は必要なのだと国民を説得しておらず、動き出してしまった原子力の後始末、いや原子力発電で出てきたゴミを処分することに解決策を提示せず「中間的な処理」として国民を誤魔化そうとしている態度がなぜ国民に理解されないのか疑問に思う。

 

原子力発電で甘い汁を吸って生きて来た人は今どんな気持ちでだろう。

 

国民の生活を守るために活動したことが誤りであったのなら、今でも遅くない。

 

知恵を絞って対策を唱えるべきだ。

 

穴掘って臭いものに蓋をして根本的な対策が見出せないままでいる状態をなんとかする気持ちはないのだろうか。

 

それにしても「中間貯蔵施設」とは政治家が推し進める看板になる言葉だ。

 

 

態度を豹変する人

立ち位置がコロコロ変わる人、身近で味方だと思っていたら急に相手側につくか、第三者になるか、野次馬になる人。

重ねて物言いの幅がない人。

 

文句しか言わない人。

 

自分が不利になると不利の理由も聞かず非難だけしだす人。

 

あーいやだ。

 

一緒になって問題解決なんか最初からする気もないのに一緒のフリをしてる人。

 

あー嫌だ嫌だ。

 

「知らんがなですます人」

 

まあー

 

居なくなってもそんなに・・・・・

レイヤーの異なる人と住む

理解できない行動をする人、プリミティにいえば正しいが何故今なのと言いたくなる。

だから発言を聞いていても遠くからものを言ってるようだ。

 

その癖近距離の接し方を要求する。

 

接点をお互い都合の良い時にすべきだと思う事にする。

今日でお別れ北海道

これを最後にと

旭岳裾合い平

黒岳石室

大雪高原山荘から沼巡り お花畑 銀泉台から駒草平

塩別つるつる温泉

望岳台からの十勝岳

ニセコから神居岬積丹ブルー

江丹別の蕎麦

 

 

 

 

豊浦トンネル

岩石が崩落してトンネルを壊し大事故となったトンネルで、まさかの自動車故障で停止、トンネルの中ほどでかろうじて縁石に寄せたが停止した。ハザードランプはついていたが何時追突等されてもおかしく無い状態だった。

トンネルに入る前から車内の室温が高いと感じていて異常だと思ったが相方がまたぞろガセネタで外部の空気を取り入れる操作をしていたよと発言、そうかなと思いそのまま運転していたら速度が落ちアクセルを踏んでも反応しなくなってダメだと思って自分で車を停車させた。

 

怖い。

 

まず交通事故が発生する恐れがあると判断して110した、事故ではないがトンネル内で停止してしまって交通事故が発生しそうで怖くて電話したと話した、交通係を派遣するとすぐに回答してくれたのでホッとしたが、車は走りにくそうに追い越していく、何時事故が起こってもおかしくない。

 

豊浦トンネルとは知らず「古平」から余市に行こうと走行していて通りかかったトンネルですと説明したが理解されたか不安で恐怖感最高になった。

 

自分でなんとか解決できない状態に置かれた恐怖心を初めて味わった。

 

もう二度と味わいたく無いと思ったが、車に乗っていれば今其処にある危機だ。

 

ふーん

 

生きていてよかった。

 

 

 

 

富良野からニセコへ

車が「カタカタ」言い出した、ダッシュボックスの端あたりからなっている。

早速富良野トヨタに持ち込んで調べてもらった。持ち込んだ途端ならなくなったがしばらくするとなり出した。

 

よく調べてもらったら風向を調整する所の不具合で駆動系が悪くなったわけでは無いので安堵した。

 

見てもらってならなくなったので良かったがどのように措置したか聞き漏らした。

 

ラベンダーは盛りを過ぎていて少し元気な色ではなかったが思い出の🪻場所なので訪れた。

 

ニセコまでの道は通い慣れた道なので気楽に走ったが、前を制限速度通りの速度で走る車がいたので少しストレス発生、でも予定通り四時には宿舎に着いた、相変わらず大歓迎してもらって良かった。

 

昨晩の宿舎 ステラは同じ企業をリタイヤの後やり出した宿で楽しかった。

でも少し話が弾んでうるさいのが玉に瑕だった。